歴史と文化

旧田口線をめぐる

旧豊橋鉄道 田口線を巡る
1968年(昭和43年)にその役目を終えた、豊橋鉄道田口線。50年以上経った今でも、その面影は奥三河に残っています。
そんな田口線に思いを馳せつつ、当時の線路をたどる旅に出てみませんか?

田口線の駅

田口線データ

路線距離 : 本長篠 - 三河田口間22.6km
駅数 : 11駅(終点含む、起点の本長篠は国鉄管理のため除く)
軌間 : 1067mm
複線区間 : なし(全区間単線)
電化区間 : 全線(直流1500V)
閉塞方式 : タブレット閉塞式

田口鉄道のはじまり

この地域での鉄道は、明治33年(1900)に豊川鉄道が東海道線の豊橋から長篠での営業を始めたことからスタートします。
その後の大正12年(1923年)には、鳳来寺鉄道が長篠から三河河合までの運行を開始しました。
そしてこれらの沿線から外れた田口町などで、鉄道への思いが高まったのです。

そこで、まずは豊川鉄道と鳳来寺鉄道に資本と建設や経営の協力を仰ぎました。
また、御料林(明治憲法下で皇室が所有する森林のこと)である段戸の木材の運び出しという名目から宮内省にも働きかけた結果、出資と経営参加の取り付けに成功したのです。

そして工事が施工され、昭和4年5月22日、最初の完成区間である鳳来寺口から三河海老間で田口鉄道が営業を始めました。
工事途中での経路変更といった問題を乗り越えつつ、昭和7年12月22日、全線22.6kmが開通します。
こうして人々の鉄道への願いは形となり、田口線の鉄道は昭和43年に廃止されるまで人々と共にあり続けました。

さよなら田口線

人々の強い願いから開通した田口鉄道。昭和26年ごろには観光開発ブームが起こったことにより、田口鉄道を利用しての観光者の集客や木材の運搬なども盛んに行われました。
しかしこのころをピークに、徐々に陰りが見え始めます。自家用自動車の普及や過疎化の進行により、利用客の減少が進みました。昭和31年には名古屋鉄道系列の豊橋鉄道に併合され、田口鉄道は豊橋鉄道田口線となります。そしてついに昭和39年、豊橋鉄道から田口線廃止を通知されるのです。
沿線の町村や住民、そして町議会や商工会などの各団体により懸命な廃止反対への活動が行われましたが、その願いは届かず、田口線の廃止が決まります。

昭和43年8月31日、「さよなら列車」の運行を最後に、たくさんの人に惜しまれながら田口線は廃止となりました。

田口線の今

廃線となった田口線。それでもかつてを偲ばせる名残が、今も各地に残っています。軌道敷が生活道路となっていたり、本長篠~三河大草間、清崎~田口間等にはトンネルが今も使用されているなど、その名残は現在の礎となっているのです。通行不能となったトンネルや橋梁跡は、それぞれの場所でひっそりと風景と溶け込んでいます。
奥三河郷土館では田口線の資料が集められており、運行されていた車両も展示されています。当時の姿を知るうえで貴重な場所です。興味をもたれた方はぜひ一度、お気軽にお立ち寄りください。

本長篠駅

現在の本長篠駅。

田口線の名残が今でも駅構内に残る本長篠駅。
田口線のレールは今もそのまま残っています。
ちなみに開業当時の名前は「鳳来寺駅」。
飯田線との分岐駅として栄え、今も人々を見守り続けています。

現在の本長篠駅。

三河田口駅

倒壊前の駅舎。
(写真は平成16年頃撮影されたもの)

かつての駅舎が最後まで残っていたのがこの三河田口駅でした。
歴史の流れとともに徐々に老朽化が進み、平成23年8月21日の深夜に降った大雨により倒壊しました。
当時は乗換えの人たちで賑わったこの場所も、現在は広い敷地を残すのみとなっています。

倒壊前の駅舎。
(写真は平成16年頃撮影されたもの)

奥三河郷土館

屋外展示されている、かつての車両「モハ14」。

奥三河郷土館(設楽町田口)には、廃線となった田口線の一部や資料が保存されています。
実際の車両や駅の看板、他にもたくさんのかつての資料が保存されており、当時の田口線を知るには外せない場所となっています。保存されている廃棄された「モハ14」という車両は、当時は下部がこげ茶のような色、窓部が肌色のツートンカラーでした。

入場料:200円

屋外展示されている、かつての車両「モハ14」。

資料提供(敬称略):設楽町教育委員会
田口線(田口鉄道)、今甦るURL:http://www.tokai-mg.co.jp/taguchisentop.htm

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