歴史と文化

長篠の戦い

武田軍と織田・徳川軍が激突したことで有名な「長篠の戦い」。その戦場となったこの長篠・設楽原一帯には、その名残が今も数多く残っています。

長篠の戦いとは?
天正3年5月21日、三河国長篠城をめぐって、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。長篠設楽(ヶ)原の戦い(ながしの したら(が)はらのたたかい)とも呼ばれます。織田軍が新戦法・鉄砲三段撃ちを行った話で有名です。
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長篠の史跡・博物館

新城の歴史をまとめて解説 設楽原歴史資料館

新城は「長篠・設楽原の戦い」などにおいて、国の流れを変える大きな出来事に関わってきました。 設楽原歴史資料館ではこれらの出来事につい…続きを読む

営業時間 午前9時から午後5時(入場は午後4時30分まで)
アクセス 「新東名」 新城IC~車 1.5km(3分)
豊川IC~車約30分 15.8km
定休日 毎週火曜日(火曜日が休日の場合は次の平日が休館)・年末年始(12月29日から1月3日)

長篠を知るための重要拠点 長篠城址史跡保存館

長篠城址史跡保存館は、「長篠の戦い」に関する資料を保存・展示し、この地の歴史を伝えています。「長篠城」の城址は国指定史跡や「日本1…続きを読む

営業時間 午前9時から午後5時まで(入館可能時間:午後4時30分まで)
アクセス 「新東名」 新城IC~車 2.8km(4分)
豊川IC~車約30分 18.5km
定休日 毎週火曜日(火曜日が休日の場合は次の平日が休館)
年末年始(12月29日から1月3日)

歴史上の戦いの引き金となった城 長篠城址

長篠城は、三河設楽郡長篠(現・愛知県新城市長篠)にあった城です。 この城は永正5年(1508年)に菅沼元成によって築かれ、豊川と宇連川の合…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 2.8km(5分)
豊川IC~車約40分 18.5km
定休日

たなびくのぼりに歴史を偲ぶ 長篠合戦のぼりまつり(長篠城址)

令和6年5月3日(水祝)~5日(日祝) 第59回長篠合戦のぼりまつり開催決定!! ▼詳細、お問い合わせは下記へ▼ 【(一社)新城市観光協会】 …続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 2.8km(4分)
豊川IC~車約40分  18.5km
定休日

5月、この地の歴史を偲ぶ 古城まつり(亀山城跡)

令和6年5月12日(日)開催 ▼詳細、お問い合わせは下記へ▼ 【(一社)新城市観光協会】 ☎0536-21-0015 (平日9:00~17:00) -----------…続きを読む

営業時間 AM9:30~PM15:00ごろまで
アクセス 「新東名」 新城IC~車 21.6km(34分)
豊川IC~車約30分 26.7km
定休日

勝利を呼ぶ重要な布石となった 馬防柵

「馬防柵」は戦国時代に最強と恐れられていた武田の騎馬軍団に対抗するために信長が考えだした作戦とされています。 信長が連吾川のすぐ…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 2.1km(5分)
豊川IC~車約30分15.5km
定休日

名も無き戦死者たちへの弔い 信玄塚(火おんどり)

2024年度信玄塚火おんどりは、地元関係者のみで戦没者供養を行うことになり一般公開は中止となりました。 ------------------------------…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 1.5km(3分)
豊川IC~車約28分 15.3km
定休日

設楽原の戦死者を慰めるための供養 火おんどり(信玄塚)

2024年度信玄塚火おんどりは、地元関係者のみで戦没者供養を行います。 そのため、一般公開は中止となりました。 -----------------------…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 1.4km(8分)
・浜松いなさI.C~車約30分 18.5km
・豊川IC~車約28分 15.3km
定休日

曹洞宗の寺院 医王寺(武田勝頼公本陣跡)

長篠山医王寺は永正11(1514)年に創立され、曹洞宗で薬師如来を本尊とし、克補契嶽大和尚によって開山された寺院です。 天正3(1575)年…続きを読む

営業時間 9:00~17:00
アクセス 「新東名」 新城IC~車 3.5km(7分)
豊川IC~車約40分 19.5km
定休日

野田城攻めの信玄が撃たれた場所 法性寺

元亀4(1573)年、野田城を攻めた折、武田信玄が野田城内の見事な笛の音に聞きほれていた伝説の場所です。 城内から鉄砲で撃たれ負傷し、…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 10km(21分)
豊川IC~車約17分 7.7km
定休日

設楽原古戦場いろはかるた「の」 織田信長戦地本陣

天正3年(1575)5月、織田信長は設楽原の決戦に備え上平井の極楽寺から、ここ茶臼山に本陣を移し指揮をとりました。 全国でも珍しい信長が心…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 4km(9分)
豊川IC~車約26分 15km
定休日

設楽原古戦場いろはかるた「ひ」 長篠役設楽原決戦場碑

精強を誇る武田軍の騎馬戦法が、織田・徳川連合軍の鉄砲を主にした新しい戦法に敗れ、戦国史を転回させた決戦の場所です。 設楽原古戦場い…続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 1.3km(3分)
豊川IC~車約30分 15.1km
定休日

信長が本陣を構えた場所 茶臼山公園(織田本陣跡)

「長篠の合戦」の際に、織田信長が本陣を構えた場所と言われています。 茶臼山の本陣は18日から20日にかけて構築されたものと考えられます。続きを読む

営業時間
アクセス 「新東名」 新城IC~車 3.2km(5分)
豊川IC~車約25分 15km
定休日

長篠のウラ話

鉄砲の3段撃ちはなかった??

戦国時代の代表者、武田と織田がぶつかり合い、その後の日本の歴史の分け目となったと言われる長篠の戦い。織田・徳川軍勝利の決め手となったことで有名なのが「鉄砲の3段撃ち」です。ただしこの戦いに関して、現代では「3段撃ち」の説は疑問視されているんだとか。

織田軍に関する資料『信長公記』に3段撃ちの記述がみられないなど、証拠が乏しく後世付け加えられたフィクションの部分が多いのではないか、とのこと。織田軍の勝利については、3段撃ちこそなかったものの、当時としては大量の鉄砲の導入と馬防柵を張り巡らせたことによる効果ではないかと言われているそうです。

ともあれこの戦いを経て、織田信長は天下統一、徳川家康は三河の掌握へと進み、反対に武田はこの後滅亡へと向かうことになりました。

両軍にとってのまさに分水嶺となった長篠の戦い。
ぜひ一度、かつての戦場の空気を肌で感じてみてください。

長篠の名物メニュー

かつての戦場として名前の知られる長篠ですが、周辺のお店にはこの戦いにちなんだおもしろメニューがいっぱい!
今回はその中の一部を特別にご紹介いたします。

軍配五平
その名のとおり軍配の形をした大きな五平餅。合戦にて指揮官が振るうにふさわしい貫禄が備わる五平餅です。
スネえもんドッグ
海苔とチーズの相性が抜群と評判のホットドッグ。名前はもちろん長篠の戦いにおける影の英雄・鳥居強衛右門から。

他にも「長篠城御膳」や「勝頼御膳」など長篠ならではのメニューがたくさん。ユニークな名前だけでなく、味ももちろんインパクト大なおいしさです!

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