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2024年02月11日 ~ 2024年02月11日
田峰観音奉納歌舞伎とは・・・
田峰観音奉納歌舞伎
「この村が3軒になるまで歌舞伎を奉納します」
ことの発端は、日光寺の再建にありました。
文明2年(1470年)菅沼定信が田峯城を築城したおり、 城鎮護のために谷高山高勝禅寺を建立し、 松芽観音菩薩と十一面観音菩薩を合祀しました(現在「田峰観音」と呼ばれています)。
時の田峯城主菅沼定信は信仰篤く、荒廃していた日光寺も再建しました。 その後も菅沼氏の田峰観音への帰依深い姿は変わらず、 菅沼定忠が永禄2年(1559年)の例大祭から田楽祭を取り入れるようになりしました。(1978年国指定重要無形民俗文化財 「三河の田楽(田峯田楽)」)
正保元年(1644年)日光寺が焼失してしまいした。 田峯の村人たちは日光寺を再建しようと、 段戸山から木を伐りだし、 承応3年(1654年)に新しい日光寺が完成しました。 ところが、 再建資材の中に御林(幕府が領有した山林)で伐採したものがあると代官の耳に入ってしまったのです。
御林検分に赤坂(現在の豊川市)の代官がやってくることになりました。 盗伐の重罪を科せられる危機に直面した村人たちは、 観音様に 「村が3軒になっても、お祭りには必ず芝居を奉納しますから、 田峯の村を救ってください」 と願をかけたところ、 実地検分の日が旧暦の6月というのに、 段戸の山に大雪が降り、 切り株が雪で覆われてしまいました。 検分に訪れた三河代官鳥山牛之介は 「こんな寒いところへ木を伐り出しにはこないだろう。 この辺りで検分いたすぞ。」と、途中で検分をすましたため、田峯村からは一人の罪人も出さずにすんだということです。以来、田峯の人たちは、戦時中も休むことなく奉納歌舞伎を続けているということです。
田峰観音奉納歌舞伎では、初幕に吉例として「寿浄瑠璃三番叟」が演じられます。
時間: | 11時 ~ 16時 |
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場所: | 田峰観音(谷高山高勝寺) 田峰観音境内舞台 設楽町田峯字鍛治沢14 |
アクセス: |