- 歴史のある城跡です
大野田城跡 - 建武の新政(1334~1336年)の頃は富永氏の砦、応永年間(1394~1427年)頃は城所藤五郎浄古斉の砦であったと云われています。
1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると、野田城主の菅沼定盈は家康に属したが、1561年今川軍の進撃で開城を余儀なくされ、一退西郷へ退いた。
1562年定盈は野田城を夜襲で奪回し、大野田城を仮本拠に野田城の修築を始めた。
1571年武田の家臣山県昌景、小笠原信嶺らの襲来で、定盈は大野田城に火を放ち、豊川対岸の西郷へ逃れた。大野田城の存在はわずか9年間である。
現在は雑木林、竹林となり、曲輪、空堀、土塁が残る。 -
住所 | 新城市野田字幹徳 | アクセス | 「新東名」 新城IC~車 7.3km(14分) 豊川IC~車約15分 8.8km |
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営業時間 | トイレ | なし | |
料金 | クレジットカード | ||
定休日 | バリアフリー | なし | |
電話番号 | 0536-22-0673(設楽原歴史資料館) | 周辺施設 | ・野田城 ・新城城 ・桜渕公園(木かげプラザ0536-23-7887) |
駐車場 | 10台 | ||
ホームページ |
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歴史のある城跡です。今では雑木林、竹林となり、曲輪、空堀、土塁が残っています。
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- ため池の裏手が大野田城址跡である
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- 投稿:
- '11/03/26
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- '11/03/26
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- '11/03/26
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- '11/03/26
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碑のところへ行く草むらの道 蜂注意
- 公共交通機関でお越しの方
- JR飯田線 「野田城駅」下車 徒歩1km 12分
- お車でお越しの方
- 豊川ICーR151新城方面ー川田信号右折ー道なりー2.1km 7分ー左手にため池あり(大野田城跡)
ナビ:新城市野田字幹徳