- 亀山城 を築いた貞俊の次男
奥平出雲守貞盛の墓 - 和田城の初代城主、和田出雲守貞盛(武将)の墓。
貞盛は三河奥平初代当主貞俊の次男で、和田の地を与えられて別家を立て、和田奥平氏と呼ばれました。
おそらく、応永(1394~1428)の後期から永享(1429~1441)の頃のことであったと思われます。当然、一門衆です。
しかも、和田の地は奥平の本拠地(亀山城)である作手郷へと続く街道を扼している。いわば作手防衛の最前線ともいうべき要地奥平家には七族五老という重臣制度があります。
七族とは次・三男が別家を立てて臣列に連なったもので、いわば一門衆のことで主に軍事面で重きをなしました。五老は在地豪族の中から功績のあった者を家老として抜擢したもので、主に行政面を司ったといわれています。 -
住所 | 新城市作手保永エマツ | アクセス | 「新東名」 新城IC~車 13km(19分) 豊川IC~車約35分 18km |
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営業時間 | トイレ | なし | |
料金 | クレジットカード | ||
定休日 | バリアフリー | なし | |
電話番号 | 0536-37-2188(作手歴史民俗資料館) | 周辺施設 | ・本宮山 ・つくで手作り村0536-37-2772 ・亀山城跡 |
駐車場 | なし | ||
ホームページ |
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和田城の初代城主、和田出雲守貞盛(武将)の墓。
貞盛は三河奥平初代当主貞俊の次男で、和田の地を与えられて別家を立てました。
おそらく、応永(1394~1428)の後期から永享(1429~1441)の頃のことであったと思われます。
みなさん、見に来てくださいね!
貞盛は三河奥平初代当主貞俊の次男で、和田の地を与えられて別家を立てました。
おそらく、応永(1394~1428)の後期から永享(1429~1441)の頃のことであったと思われます。
みなさん、見に来てくださいね!
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- キレイにされてるね
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- 宝篋印塔もあります
- 公共交通機関でお越しの方
- JR飯田線 「新城駅」下車ー新城Sバス 作手線 新城栄町ースカイライン入り口下車ー650m先左手徒歩で入る
- お車でお越しの方
- 豊川IC-R151新城方面ー川田信号左折ー川田山田平信号右折ー杉山北信号左折ー和田信号より650m先左側徒歩で入る
民家と倉庫の間にある細い道を少し上った場所にある。