コラム

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それぞれの価値を大切にした、フィールドの楽しみ方

比べない。「私」を取り戻す、等身大の魅力。

「私がこれを趣味と言うには…」と、どこか申し訳なさそうな口調で、彼女はそのあとに続く言葉を飲み込んでしまった。月に一度、平日に友人と奥三河を軸にした山歩きを楽しんでいる。いわゆる「スポーツ」と呼ばれ、一般的にイメージするものとは程遠い、ゆっくり過ぎるくらいのトレッキングだ。

それはもはや「スポーツ」というよりは「レジャー」と表現したほうがしっくりくる。そんな彼女にとって、きっとスポーツ(運動)というものは主体的であれ、受動的であれ「とにかく頑張る」ことや、努力や継続性の象徴のようなものなのかもしれない。

また教育や暮らしの中で、スポーツは「好き」や「楽しい」ではなく、その過程や成果を評価する指針と感じさせられることも多く、知らないうちに、とても自然に「私の領域の話ではない」と、自分とは関係のない世界のこととして位置付けてしまっているのかもしれない。

そもそもスポーツや運動に苦手意識を持っている人からすれば、たまに楽しんでいる程度ではスポーツを趣味と呼べない、呼んではいけないというふうに自然と考えてしまうのかもしれない。

学校などでは、スポーツは「楽しむ」というよりは「得意/不得意」「出来る/出来ない」の優劣や「どれだけ頑張っているか」を誰かと競うために「回数(頻度)」「タイム(速さ)」「順位(成績)」などの指針が多く存在しており、「比べる」という前提が多過ぎるように思える。それが何であれ「楽しみ(趣味)」は本来「誰か」や「何か」と比べるものではなく、その人が楽しいと感じた瞬間から、実はその人の価値としてそこに存在するものだ。

そしてそれは自分自身に少しだけ特別な時間や、充足感をもたらしてくれるものだと思う。その中の考え方のひとつとして、様々な指標があったり、誰かと楽しんだりするだけのことではないかと常々感じている。最初から「何か」や「誰か」と比較される前提のもとで、なんだかよくわからない、誰かによって与えられる価値でも、必須項目でも、重要項目でもない。その価値(楽しさ)は「何を」「どこで」「誰と(もしくは自分ひとりでも)」楽しもうと、絶対的なものとして自分自身で大切に育むものだ。

全国からの交通アクセスに恵まれている愛知県にありながら、その面積のほとんどを森に覆われ、標高300m〜1000mほどの山々が連なる、ここ奥三河。豊かな自然環境とともに、トレッキングやトレイルランニング、サイクリングなどのアウトドアレジャーに適したフィールドがたくさんあり、温暖な気候と合わせ、一年を通して気軽に楽しむことができる。

先に登場した友人と登った山は「吉祥山(きちじょうさん)」。奥三河の玄関口、新城市にある標高382mの独立峰だ。地元からは郷土の山として愛されている。他愛もない日常の会話を弾ませつつ、しっかりと休憩も含め登ったとしても所要時間は往復で3時間ほど。
標高は決して高くなくとも、独立峰だけあり、頂上に立てば南には豊橋市を一望でき、その先には田原市、三河湾まで眺めことができる。北に目を向ければ、清流豊川を挟んで南北に広がる新城市街を起点とし、その先には鳳来寺山を見ることができ、奥三河の山塊へと続いてゆく。そして東の山々の先には、遠く南アルプスの峰々や、空気の澄んだ日には富士山を望むこともできる。その360℃のパノラマを前にすれば「なんて豊かで素晴らしいんだろう」そう思わずにはいられない。

それは大切な友人と、その楽しさを共有している時間に向けた言葉でもあり、いま目の前に広がる豊かな人の営みの様子、自然と暮らしが調和した環境への賛美でもある。何より「楽しいね」と無邪気に笑う友人の楽しそうな会話、幸せそうな顔を見ることは、同じ時間を共有する最高の喜びとなる。そこには背伸びして、誰かと何かを比べたり誇示したりする必要もない、穏やかな時間が流れている。

現代に生きるということは、日々目まぐるしく過ぎ去る時間、その速度がもたらす、無意識にも近い領域で感じるストレスと切り離すことは難しい。そんな毎日の生活の中で重視されることが多いのは、合理性や効率の良さなどばかりで、その必要性を理解しながらも、頭の片隅で感じる、直感的かつ本能的な「??」「……」といった疑問符を、見て見ぬふりしてしまうことがしばしばだ。

基本的に日々の営み、毎日の生活は忙しく、そんなことを考えている暇などないのだ。そんな毎日を効率よくこなすために、合理性や生産性を高めなければならない観点から見れば、わざわざ時間を作り、トレッキングで山を登ることも、トレイルラニングで森を駆け抜けることも、サイクリングで息を切らせながら風を感じることも、非合理で非効率、曖昧でひどく原始的かつ、アナログな「それ必要ですか?」という行為なのかもしれない。

けれども、そうした「急ぎ過ぎない時間」はどこかで私たちを惹きつけ、その時間に身を委ねてみると、自分を取り戻したような、少しほっとした気分にさせてくれる。それはきっと、そこに流れる少しゆったりとした時間と、周囲に流れている速度に、大きな隔たりがないからではないだろうか。

それが歩くにせよ、走るにせよ、漕ぐにせよ、その行為を通して時間と速度、自然(周囲)と私が調和しているということだろう。その調和した流れの中に存在する時間へ、身を委ねることが、私が私を取り戻し、心を落ち着かせ安定させていくことのように思える。

だからこそ、どこか安心するのだ。何より調和しているというのは美しいことである。その美しさ、美しいと感じる心は、誰かから発せられたものではなく、自発的な私自身の価値観に由来するもので、それは自分自身を癒し満たしてくれる喜びに溢れている。

ここ奥三河にあるアウトドアスポーツ、またレジャーとして楽しむフィールドの魅力は、ひとりひとりのスタンスに合った飾らない等身大のスケール感である。忙しい暮らしの中のちょっとした時に、半日や日帰りで「行こうかな…よし、行ってきます!」と、自分自身を気軽に取り戻す空間と時間の流れが、そこにあるのではないだろうか。
それを感じる行為をスポーツと呼ぼうがレジャーと呼ぼうが、どんな手法であっても構わない。「美しい」「楽しい」「心地よい」という自分由来の理由以外の、難しい基準は全く必要ない。自分で決めた自分の歩調で楽しめばいい。

例えばそれは、宇連山に向かう登山道を自分の足で踏みしめる、一歩一歩の歩みの中に。整然と整えられた鞍掛山の杉や檜の間を、トレイルランニングで駆け抜ける時に。段戸湖畔に広がるブナ林の中を、ゆったりと話しながら眺める、美しい木漏れ日の中に。自転車さんぽで、ゆるやかに町巡りをしながら、振草川の清流が奏でる、ささやかで優しい自然の音色に耳を澄ませた時に。茶臼山高原に吹き抜ける心地よい風を肌に感じながら、自分の呼吸に耳を澄まし、大きく肺を膨らませて吸い込む清々しい空気の中に。

奥三河の豊かなフィールドで過ごす時間の中には、日常の忙しさで失われがちな、自分にとっての心地よさを取り戻し、自然との調和と、美しさを再認識していくきっかけや可能性が満ち溢れている。ここで自身が感じたものこそが本質であり、奥三河のフィールドの持つ深い魅力の原点なのだろう。

あなたも「どこか」や「誰か」「何か」と比べる必要は全くない。気軽に私自身を取り戻すことができる場所・奥三河で、アウトドアスポーツまたはアウトドアレジャーを楽しんでみてはどうだろうか。それぞれの価値を大切にした等身大の楽しみ方を、ここ奥三河で体感していただきたい。


有城 辰徳 (ありしろ たつのり)
1976年生まれ、愛知県新城市出身。
地元高校業後、オーストラリアへ海外留学。現地コミュニティーカレッジ卒。その後帰国し、カメラマンなど国内で多様な仕事を経て、2014年に新城市地域おこし協力隊・スポーツツーリズム推進担当として、新城市へUターンし活動を開始する。
同年「新城スポーツツーリズム推進実行委員会」を設立し、地域に暮す人達と外部が繋がるネットワークを生み出し、2015年から春と秋の年2回、愛知県民の森を会場にトレイルランニング大会「DA MONDE TRAIL Challenge」を主催。これまでの累積の参加者は5,000人を超え、地域、行政、外部の3者を繋ぎながら持続可能な取り組みを展開している。また自転車関連イベントにも関り、このエリアでの大会の設立、関連事業にも多数参画している。
2017年3月に地域おこし協力隊の3年の任期を満了し、同年4月「一般社団法人ダモンデ」を設立。現在に至るまで、新城・奥三河エリアを拠点とし、スポーツを通じた「ひと・こと・もの」の交流の輪を育てている。
2016年4月内閣府より地域活性化伝道師を拝命。2019年10月には新城市内にスポーツを通じたコミュニティースペース「ヤングキャッスル」を開設し、活動の幅をさらに広げている。

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