- 勝利を呼ぶ重要な布石となった
馬防柵 - 「馬防柵」は戦国時代に最強と恐れられていた武田の騎馬軍団に対抗するために信長が考えだした作戦とされています。
信長が連吾川のすぐ手前に馬防柵を築いたことは、設楽原に一つの巨大なお城を築いたと同じ意味がありました。連合軍はそのお城を守るために、攻めてくる武田の騎馬隊を鉄砲で迎え撃ったのです。
連合軍が築いた馬防柵の丸太は、信長が岐阜から設楽原へ兵士に一本ずつ持ち運ばせたとされています。戦国時代の設楽原一帯には今のように大きな木々は少なく人の背丈ほどの小さな樹木ばかりでした。このため馬防柵用の丸太を現地で調達することができなかったのです。
設楽原をまもる会が中心となって、馬防柵を再現しています。概ね5年に一度、柵木を造り直しています。
ぜひ新しくなった馬防柵を見に来て下さい。 -
住所 | 新城市大宮字清水 | アクセス | 「新東名」 新城IC~車 2.1km(5分)
豊川IC~車約30分15.5km |
---|---|---|---|
営業時間 | トイレ | なし | |
料金 | 無料
設楽原歴史資料館 大人300円 小中学生100円 団体(20人~) 大人200円 小中学生50円 長篠城址史跡保存館との共通券 大人400円 小中学生150円 団体(20人~) 大人300円 小中学生80円 |
クレジットカード | |
定休日 | バリアフリー | なし | |
電話番号 | 0536-22-0673(設楽原歴史資料館) | 周辺施設 | ・信玄塚
・設楽原歴史資料館0536-22-0673 |
駐車場 | なし | ||
ホームページ |
Webページの更新時期により、こちらに記載した内容は現在と異なる場合がございます。
念のため、新しい情報をご確認いただきますようお願い致します。
「馬防柵」は戦国時代に最強と恐れられていた武田の騎馬軍団に対抗するために信長が考えだした作戦とされています。
設楽原をまもる会が中心となって、馬防柵を再現しています。概ね5年に一度、柵木を造り直しています。ぜひ新しくなった馬防柵を見に来て下さい。
設楽原をまもる会が中心となって、馬防柵を再現しています。概ね5年に一度、柵木を造り直しています。ぜひ新しくなった馬防柵を見に来て下さい。
-
- 馬防柵
-
- 石碑もあるよ~
-
- 説明板もあります
-
- 攻口
- 出入り口もあるんだね
-
- 織田軍と徳川軍では少し作り方が違います
- 公共交通機関でお越しの方
- JR飯田線 「三河東郷駅」下車ー徒歩20分 1.8km
- お車でお越しの方
- 豊川IC-R151新城方面ー川田信号左折ー川田山田平信号右折ー富永新知信号左折ー1つ目の信号すぎてすぐ右折ー道なり左手
ナビ:設楽原歴史資料館0536-22-0673
資料館から歩いて10分ほどの所にあります。車で行くと一方通行で戻ってこれなくなるので注意。ここも新城ウォーキングのポイント。