- 謀反を企み討伐された
石橋城址(慈昌院) - 奥平氏ニ代目・貞久の次男、久勝が最初の城主です。
弾正繁昌(久勝の子)は、天文6年(1573)に主君への謀反が露見し、屋敷を攻められて敗北しました。討ち死にした郎党40人が一穴に埋められた石祠があります。
現在は、寺院・慈昌院として作手高原に時を知らせる鐘の音・除夜の鐘の音を響き渡らせています。 -
住所 | 新城市作手清岳寺屋敷3 | アクセス | 「新東名」 新城IC~車 21km(31分) 豊川IC~車約38分 27km |
---|---|---|---|
営業時間 | トイレ | なし | |
料金 | クレジットカード | ||
定休日 | バリアフリー | なし | |
電話番号 | 0536-38-1662 | 周辺施設 | ・亀山城址 ・善福寺 ・つくで手作り村0536-37-2772 |
駐車場 | なし | ||
ホームページ |
Webページの更新時期により、こちらに記載した内容は現在と異なる場合がございます。
念のため、新しい情報をご確認いただきますようお願い致します。
奥平氏ニ代目・貞久の次男、久勝が最初の城主です。
弾正繁昌(久勝の子)は、天文6年(1573)に主君への謀反が露見し、屋敷を攻められて敗北しました。討ち死にした郎党40人が一穴に埋められた石祠があります。
新城の歴史めぐりに、是非来てくださいねー!
弾正繁昌(久勝の子)は、天文6年(1573)に主君への謀反が露見し、屋敷を攻められて敗北しました。討ち死にした郎党40人が一穴に埋められた石祠があります。
新城の歴史めぐりに、是非来てくださいねー!
-
- 本堂です。
-
- 慈昌院と鐘楼。
- どんな音色かな?
-
- 縄張り図も付いてるよ~
- 石橋城址(慈昌院) » このスポットの他の口コミを見る
- 土塁が西の方にあります
- 投稿:
- '11/03/26
- 訪問:
- '11/03/26
- おススメ度
-
- 投稿:
- '11/03/26
- 訪問:
- '11/03/26
- おススメ度
-
土塁が西の方にあります
- 公共交通機関でお越しの方
- JR飯田線 「新城駅」下車ー新城Sバス 作手線 新城栄町ーつくで手作り村下車ー徒歩
*作手線 平日7便 土日祝3~4便 - お車でお越しの方
- 豊川IC-R151新城方面ー川田信号左折ー川田山田平信号右折ー杉山北信号左折ー道なりーつくで手作り村正面
ナビ:慈昌院0536-38-1662
【臨済宗永源寺派】【本尊/釈迦如来】